凱風舎
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一年

 

 得しものと失いしものはかるため僕は両手に雪受けている

                                寺西 弘

 

 

 気が付けば、この通信が始まって今日でまる一年がたったことになる。
 別に前もって思っていたわけではない。
 いまPCに向かったとき、ふと思い出しただけのことだ。
 けれど、そう思えば、感慨なきにしもあらず、である。

 休みもあったが、この間300回以上は書いただろう。
 読んでくれていた人たちにとって、おもしろいのもあったろうし、つまらぬものもたくさんあったろう。
 あるいは、意味ある内容もあれば、とんとわけのわからぬものもあったろう。
 けれども、もし、この通信に意味があったとすれば、それはその内容ではなかったような気がする。
 すくなくとも私にとって、それは、これをほぼ休まず一年続けた、ということだ。
 それ以外にない。

 もちろん、この通信を書くことは私にさまざまなものを与えてくれた。
 それを否定しようなんて思わない。
 でなければ、続かなかったろう、と思う。
 けれども、それによって私は何かを失いもしたはずだ。
 だが、この一年通信を書き続けたことの意味は、その得たものにでもなく失ったものにでもなく、その両方を含めて、ただそれを「続けた」ということの中によって生じたこの一年の「日常」の中にあったような気がする。

 私は一種の義務感の中にいた。
 それはこの通信を始めようと思ったのが私ではなかったからだ。
 昔の生徒たちが用意してくれたものだから、私はできるだけ毎日書かねばならないと思ったのだ。
 それによって毎日書いてきたことが私に与えてくれたものは、とてつもなく大きなものだったのだが、それをいま私はうまく言葉にできない。 
 言えることは、得たものも失ったものも合わせて私の58歳という年の「日常」を形づくったのはこの通信だったということだけだ。
 そして、そのことを感謝している。

 引用の歌は私が十八歳の時に作った歌だ。
 もう四十年も昔のこんなこっぱずかしい若い歌をあえて掲げたのは、むろん他の適当な引用が思いつかなかっただけのことだ。
 もちろん私はこの歌がどんな状況で歌われたかを覚えている。
 私はその若者じみたポーズの中で、そのとき得たものの後ろにある失ったものの大きさに戸惑っていたのだ。
 そして戸惑いながらも「得しものと失いしもの」の両方を必死で受け入れようとしていたのだ。

 今の私に戸惑いはない。
 何かを得るためには何かを失わねばならない、などという垢じみた人生訓を知っているからではない。
 そうではなくて、一種の強制、もしくは何ものかに「強いられた」という形で行われることものこそが人生を作っていくのだということを、あの頃よりはすこしはわかっているというだけのことだ。
 その中で失われるものも含めて人は生きていくしかない。
 そうやって人は人生の中で何かを手にするのだ。
 就職にしろ結婚にしろ、要はそういうことだ。
 震災にしろ誰かの死にしろ、それは同じことだ。

 明日からもむろん書く。
 わかっていることは書き続けることに意味があるということなのだから。

   憚らず 歌載せる人 寒の夜